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大阪高等裁判所 昭和54年(う)623号 判決

被告人 木村龍介こと宋斗會

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

被告人の控訴の趣意は、被告人本人及び弁護人塚本誠一共同作成、弁護人高野嘉雄作成、弁護人海藤寿夫、同河本光平及び同塚本誠一共同作成の各控訴趣意書記載のとおりであり(被告人本人及び弁護人塚本誠一共同作成の控訴趣意書は、法令適用の誤りを主張するものである旨、塚本弁護人において釈明した)、これに対する答弁は、検察官田淵文俊作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用し、検察官の控訴の趣意は、京都地方検察庁検察官検事小林照佳作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人河本光平作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一、被告人本人及び弁護人塚本誠一の控訴趣意、並びに弁護人高野嘉雄の控訴趣意について

各論旨は、いずれも原判決が、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約五号、以下平和条約という)二条(a)項によつて、すべての朝鮮人は、それまで有していた日本国籍を離脱し、同時に朝鮮国籍を取得したものであることを根拠として、被告人が大韓民国の国籍を有する外国人であると解し、外国人登録法一八条一項一号、七条一項、一一条一項を適用したことについて法令の解釈適用の誤りをいうのであつて、その論拠として、

被告人本人及び弁護人塚本誠一の論旨は、要するに、平和条約の右条項を国籍変動に関する規定と解するのは極めて恣意的な解釈であるし、仮りに右条項を国籍変動に関係のある規定と解し得るとしても、それは朝鮮と朝鮮人総体に対する一般的原則であつて、被告人のように、朝鮮人であつても、独立を承認された朝鮮の国家を構成する国民としての事実関係がまつたくなく、日本にのみ生活の本拠を有し、実質的に日本人と異らない者に対しては、右の原則はあてはまらず、例外として、平和条約によつては日本国籍を離脱していないとみるべきである、と主張し、

弁護人高野嘉雄の論旨は、要するに、条約の解釈とは締約国間の合意の内容を明らかにするものであるところ、平和条約二条(a)項に、在日朝鮮人の国籍に関する合意は、明示的には勿論、黙示的にも存しない、すなわち、在日朝鮮人の国籍問題は、朝鮮の独立及び朝鮮人の一般的な国籍問題とは別個のものであり、平和条約締結に際しても、在日朝鮮人に対する国籍選択権の付与を含めて、その国籍問題は平和条約とは別に日本と朝鮮との当事国間の条約によつて決定するとの合意が関係国間に成立していたのであつて、平和条約二条(a)項に在日朝鮮人の国籍条項に関する合意なるものは存在しない。のみならず、在日朝鮮人に国籍選択権を一切認めず、従来有していた日本の国籍を、個々人の意思とはかかわりなく一律に、しかも、当事国のうちの一方の国が一方的に喪失せしめるような措置は、日本国が平和条約中でその目的実現への努力を約している世界人権宣言の趣旨に反し、近時における、各国の先例にも反するものである。したがつて、原判決が平和条約二条(a)項の「合理的解釈」として、被告人が日本国籍を喪失したと判断したのは明らかに失当である、と主張する。

そこで、検討するのに、平和条約二条(a)項は「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定する。最高裁判所昭和三六年四月五日判決(民集一五巻四号六五七頁)は、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に属すべき領土に対する主権を放棄しているこの規定について、「この規定は、朝鮮に属すべき領土に対する主権(いわゆる領土主権)を放棄すると同時に、朝鮮に属すべき人に対する主権(いわゆる対人主権)も放棄することは疑いをいれない。国家は、人、領土及び政府を存立の要素とするもので、これらの一つを缺いても国家として存立しない。朝鮮の独立を承認するということは、朝鮮を独立の国家として承認することで、朝鮮がそれに属する人、領土及び政府をもつことを承認することにほかならない。したがつて、平和条約によつて、日本は朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄したことになる。このことは朝鮮に属すべき人について、日本の国籍を喪失させることを意味する。ある国に属する人は、その国の国籍をもつ人であり、その国の主権に服する。逆にいえば、ある国の国籍をもつ人は、その国の主権に服する。したがつて、日本が朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄することは、このような人について日本の国籍を喪失させることになる。朝鮮に属すべき人というのは、日本と朝鮮との併合後において、日本の国内法上で、朝鮮人としての法的地位をもつた人と解するのが相当である。朝鮮人としての法的地位をもつた人というのは、朝鮮戸籍令の適用を受け、朝鮮戸籍に登載された人である」旨判示しており、朝鮮人一般の国籍に関する限り、このように解すべきことに疑問の余地はない。

所論は、種々の論拠をあげ、平和条約二条(a)項が国籍条項を含むとしても、被告人のような在日朝鮮人については、同条項によつて日本国籍を喪失したものとは解されない、と主張する。たしかに、領土権の変更に伴う国籍の変動について、どの範囲の領土関係者が国籍を変更するかの問題、国籍の変更は法上当然に生ずるのか住民の服従意思の表明をまつを要するのかの問題等に関し、現在普遍的に承認された国際法上の原則は存在しないけれども、戦後の先例として、たとえば、〈1〉一九四七年、英国がビルマの独立を承認するにあたり、いかなる範囲の英国臣民がビルマの独立により英国臣民たる地位を喪失するかを英国自ら制定した法律によつて明定し、これら英国々籍を喪失すべき者に対し、一定の期間内に所定の申請をすることによつて英国々民としてとどまることのできる国籍選択権を与えた事例、〈2〉ドイツのオーストリア合邦無効に伴う国籍処理に関し、ドイツの一九五七年第二次国籍問題規制法が、ドイツ国籍を消失するとともにオーストリア国籍を回復した者の意思を尊重して、旧ドイツ領土内に継続住所を有している限り、その意思の表明によつてドイツ国籍を回復する途を開いている事例等が存すること、一九四八年に第三回国際連合総会において採択され、平和条約において日本国がその目的実現への努力を約している人権に関する世界宣言一五条二項が「何人も、専断的にその国籍を奪われたりその国籍を変更する権利を否認されたりすることはない。」とうたつていること、被告人を含む在日朝鮮人の多くは、日本と朝鮮との併合の結果朝鮮半島から日本に移住した人及びその子孫であつて、中には強制的に移住させられた者もあるという歴史的経過に加え、永年の居住に伴い日本にのみ生活の本拠を有する者も少なくない点からみると、日本国の朝鮮人に対する主権の放棄による日本国籍の喪失は、これらの者にとつて強制的に国籍を剥奪されるというに等しい場合もあると認められること等の諸事情に徴すると、在日朝鮮人に関しては、平和条約二条(a)項により一律に日本国の国籍を喪失させることなく、右条約発効に際し、日本国籍を保有するか否かの選択権を行使させる法的措置、あるいは右条約発効後一定の期間内に一たん喪失した日本国籍を一定の要件のもとに回復する権利を付与する法的措置をとるのも一つの適切な処置であつたと考えられる。しかしながら、日本国が受諾したポツダム宣言において履行せらるべきものとされているカイロ宣言に、連合国たる英・米・中国は、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意のもとに対日戦争を遂行する」とある点よりみると、奴隷状態にあつた朝鮮人民を日本国籍のもとにある桎梏から脱せしめて、朝鮮を自由独立のものにすることこそが平和条約二条(a)項の眼目であると解されることに加え、世界人権宣言一五条二項の定めるところも実定法上の具体的権利として確立されたものではなく、また日本国内に在住する者がいかなる国籍を有するかは一義的に明確であることが必要であることを併せ考えると、国内法あるいは当事国間の条約において、在日朝鮮人に関し、上記のような国籍の選択あるいは国籍の回復を認める法的措置が定められていない以上、在日朝鮮人も朝鮮に属すべき人として、平和条約二条(a)項により、一律に日本国籍を喪失しているものと解せざるを得ず、このような法的措置が定められていないことを理由に、在日朝鮮人(その範囲も不明確である)がすべてなお日本国籍を保有し、あるいは各人の意思に従つて日本国籍あるいは朝鮮(韓国)国籍を選択し得るものと解する見解には到底左袒し得ない。そして、弁護人高野嘉雄の所論が指摘するように、原審証人田中宏の証言等によれば、平和条約の締結(調印)後その発効前にいわゆる日韓予備会談が開かれ、それに引続き本会議も開始されて、在日朝鮮人の国籍問題等が討議された事実があることが認められるが、その討議も何ら合意をみないまま昭和二七年四月二八日の平和条約発効を迎えたのであり、その後昭和四〇年に至つて締結された「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(昭和四〇年条約二五号)及び「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年条約二八号)においても、何ら在日朝鮮(韓国)人に関する国籍の問題には触れられていないのであつて(むしろ、後者の条約においては、在日韓国人が大韓民国国民であること及び永住許可を与えられても、日本法令の適用においては外国人とされることが明定されている)、国内法においても、当事国間の条約によつても、在日朝鮮人につき、上記のような国籍の選択ないし回復に関する法的措置は全く定められていないのは明らかである。また、右のように、平和条約締結後在日朝鮮人の国籍問題が日韓両国間で討議された事実があつても、同条約二条(a)項を前記のように解することと必ずしも矛盾するものではなく(日本国籍は一律に喪失するけれども、一定期間内の回復権を認める等右の一律喪失と矛盾しない方法での国籍処理は十分可能である)、右両国間の前記討議が存在する故に、平和条約二項(a)項には在日朝鮮人の国籍条項は含まれる余地がないとしなければならないものでもないと考える。

なお、弁護人高野嘉雄の所論は、平和条約二条(b)項は台湾について規定しているが、朝鮮についての同条(a)項と基本的に同一の規定形式であるにもかかわらず、台湾人の国籍は、右平和条約二条(b)項によつてではなく、日本国と中華民国との間の平和条約(昭和二七年条約一〇号)によつて定まると解されている(最高裁判所昭和三七年一二月五日判決刑集一六巻一二号一六六一頁)が、かように区々な解釈は非合理かつ御都合主義的であつて、平和条約二条には国籍条項が含まれていない証左であると主張しており、右最高裁判所判決が、台湾人につき、日本国籍喪失の時期を平和条約発効時ではなく、日本国と中華民国との間の平和条約発効時としていることは、所論のとおりである。しかし平和条約二条(a)項は、朝鮮に関し「日本国は朝鮮の独立を承認して、……朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定する外、朝鮮は平和条約の締約国ではないけれども、その二一条で「朝鮮は、この条約の第二条……の利益を受ける権利を有する。」と規定している。ところが台湾に関しては、平和条約二条(b)項が「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定しているが、右二一条が、中国(やはり、平和条約締約国ではない)についてこの二条の利益を受ける権利を有するとはうたつていないことが明らかである。これは、当時中国に二つの政府(北京と台湾)ができ、そのいずれを正統政府とみるかについて連合国内部で意見の対立があつたためとされている。かように、二条の(a)項と(b)項は、朝鮮及び台湾(中国)に関する関係で規定の体裁を異にしているし、その後日本が、台湾政府を中国の正統政府と認めて、これとの間に平和条約を締結し、その結果、台湾人の旧日本国籍喪失の時期が朝鮮人のそれと別異に解されるような事態となつたとしても、それがために、所論のように、平和条約二条(a)項に国籍条項は含まれないとしなければならないものではないと考える。

その他所論をつぶさに検討しても、原判決に所論のような法令解釈適用の誤りはない。

第二弁護人海藤寿夫、同河本光平及び同塚本誠一の控訴趣意について

論旨は、要するに、外国人登録法は、刑罰をもつて外国人に登録等の申請を義務づけているが、仮りに、在日朝鮮人につき一律に日本国籍を喪失させる取扱いがやむを得ないとしても、在日朝鮮人は日本国によつて在日を余儀なくされたものであるという歴史的経過、何人もほしいままにその国籍を奪われないという国際的にも承認された基本的人権の重要性及びこの問題に関する国際先例等からみて、日本国は在日朝鮮人に対して国籍選択権を与えるべきであつたし、またそれが決して不可能ではなかつたのである、それにもかかわらず、日本国は、その立法的・行政的措置の懈怠によつて国籍選択権を与えず、在日朝鮮人を一律に外国人としてこれに対し種々の生活上、法律上の不利益を与えているのであるから、これらの不利益が是正されるまでは、在日朝鮮人については、法秩序全体からみて、外国人登録法の刑罰権を行使することは許されず、かかる刑罰権の行使は、法の適正手続を規定した憲法三一条に違反するものであると解すべきである、しかるに、在日朝鮮人である被告人に対し、原判示各事実について外国人登録法の各該当法案を適用して刑罰を科した原判決は、法令の適用を誤つたものである、というのである。

そこで、検討するのに、外国人登録法は、その第一条が規定するように、本邦に在留する外国人の登録を実施することによつて、外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的として制定されたものであつて、外国人に対し一律平等な規制を行う必要があることが明白であるから、在日朝鮮人も外国人(日本の国籍を有しない者)である以上、所論の歴史的経過その他所論のるる主張する諸点を考慮しても、これに対して外国人登録法の刑罰規定を適用することが、法定手続の保障を定めた憲法三一条に違反するとは考えられない。論旨は理由がない。

第三、検察官の控訴趣意について

論旨は要するに、被告人を懲役四月、執行猶予一年に処した原判決の量刑は、著しく軽きに失して不当である、というのである。

よつて、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、本件は、外国人登録証を自ら焼いて滅失させたのに、法定の期間内に再交付申請をせずに本邦に在留し、また、外国人登録の確認申請をしないで本邦に在留したという事案であり、そのうち前者は、在日朝鮮人は外国人登録法の規制を受ける筋合はないとの被告人独自の考え方に基いて、衆人環視の中で自己の外国人登録証を焼き捨てたうえでの犯行であり、後者も同様の考えに基くものであるところ、その考え方が現行法制上容認できないものであること、前記認定のとおりであるから、被告人の責任は決して軽くないといわなければならない。しかも、被告人には、執行猶予付懲役刑の前科を含む同種の前歴が三回存するのである。しかし、被告人は、原判決後の昭和五五年七月二一日に至つて、当時の居住地の市町村の長に対しいわゆる確認申請をしていることを含め、記録によつて認められる諸般の事情を考慮するならば、原判決の前記量刑が、軽きに失して不当であるとまではいえないと考える。この論旨も理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 石松竹雄 岡次郎 高橋金次郎)

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